昭和63年(1988年)11月場所

「大相撲テレビ観戦記」
・幕内では、14日目に4場所連続26回目の優勝を決めた東横綱千代の富士が、千秋楽結びの一番で、大相撲の末、西横綱大乃国に寄り倒しで破れ遂に、連勝が53でストップしました。双葉山の69連勝を抜く勢いで勝ち進んで来ましたが、負けた瞬間のTVから聞こえて来た館内のどよめきが今でも忘れる事が出来ません。
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・三賞は、殊勲賞と敢闘賞は該当者が無し、技能賞は西前頭6枚目の霧島が10勝を挙げ2回目の受賞をしました。技能賞の受賞者が出たのは、丁度1年振りでした。

・十両では、西十両13枚目の元関脇の益荒雄が11勝4敗で3回目の優勝をしました。膝の怪我からの復活優勝でした。

・幕下優勝=西13枚目・琴別府(最高位=前頭筆頭)(7戦全勝)。

・三段目優勝=東34枚目・若花田(第66代横綱)(7戦全勝)=2人による決定戦。

・序二段優勝=西55枚目・今乃藤(7戦全勝)=2人による決定戦。

・序ノ口優勝=東18枚目・将風(7戦全勝)。

http://gans01.fc2web.com/S60/S63-11.html
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●新入幕
・豊ノ海 真二(とよのうみ しんじ)=昭和40年9月22日生まれ、福岡県出身、二子山→藤島]→二子山部屋。
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・元大関貴ノ花(前二子山親方)の内弟子として二子山部屋に入門、藤島部屋独立と共に移籍し、安芸乃島との100番稽古で力を付けて昇進した。200㌔を超える巨漢で、脇は甘いものの両上手から抱えて一気に出る取り口は注目された。ツラ相撲で、本場所の前半は体を持て余して一方的に負けるかと思うと、後半は見違える様に体を生かして勝ち進んだりした。貴ノ浜と名乗っていたが、出身地に因んで豊ノ海と改めた。平成11年3月場所限りで引退した。初土俵から休場なしで引退場所の千秋楽まで勤めた力士としては史上1位の1316回連続出場だった。

・本名=濱田 真二(はまだ しんじ)。
・四股名=浜田→貴ノ浜→貴乃濱→貴ノ浜→豊ノ海。
・初土俵=昭和56年3月場所(15歳)。
・十両昇進=昭和62年9月場所(22歳)。
・最終場所=平成11年3月場所(33歳)=西十両8枚目(2勝13敗)。
・最高位=前頭筆頭。
・幕内在位=30場所。
・幕内成績=209勝241敗。
・三賞受賞=無し。
・金星獲得=無し。
・身長、体重=189cm、219kg。
・得意手=左四つ、寄り切り。

・佐賀昇 博(さがのぼり ひろし)=昭和36年11月27日生まれ、佐賀県出身、押尾川部屋。
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・両親を早くに亡くし、施設で育ったと言う薄幸の生い立ちだが、逆境にめげず微塵の暗さも無い礼儀正しく優しい人柄。体に恵まれなかったが、気力でカヴァーした。努力を重ねて昭和63年、ご当所の11月場所で入幕を果たし、昭和最後の入幕力士となった。その際、育った施設を訪ね子供達を励ましたと言う美談の持ち主。左を差しての下手投げが十八番だが、下手からの芸に頼るだけに幕内では苦しく、1場所で陥落した。その後は腰を痛めて苦しみ、平成5年9月場所では序二段60枚目まで陥落する屈辱を味わった。元幕内力士の序二段への陥落は、昭和以降2人目の珍事だが、1人目は同部屋の騏ノ嵐であった。

・本名=林 博(はやし ひろし)。
・四股名=林→大林→佐賀昇→佐嘉昇。
・初土俵=昭和52年3月場所(15歳)。
・十両昇進=昭和61年9月場所(24歳)。
・最終場所=平成8年1月場所(34歳)=東幕下44枚目(出場せず)。
・最高位=前頭14枚目。
・幕内在位=1場所。
・幕内成績=5勝10敗。
・三賞受賞=無し。
・金星獲得=無し。
・身長、体重=192cm、118kg。
・得意手=左四つ、下手投げ。

・大相撲テレビ観戦記=ブログ一覧
http://37021207.at.webry.info/200710/article_14.html

・新入幕・引退力士一覧②
http://37021207.at.webry.info/200706/article_16.html

・幕内力士五十音別索引
http://37021207.at.webry.info/200706/article_15.html

この記事へのコメント

nekochan
2009年03月20日 20:52
豊ノ海…懐かしいですね。期待していましたけど三役にもなりませんでした。私の考えといいますか…友達には認められているのですが、小兵力士だった二子山親方では巨漢力士・豊ノ海の才能を活かすことができなかったのではないかと思います。巨体の活かし方、巨体ならではの弱点を考慮した指導…そういったことができなかったのではないでしょうか?二子山部屋というと全盛を極めた黄金の部屋でしたけど、巨漢力士が育たないといった思わぬ点があったように思いますし、才能を持った人が素晴らしい名伯楽のところに行っても…相性が悪ければ育たない。そのことを豊ノ海と二子山親方は物語っていたように思います。そういう意味で五剣山なんかも該当していると思います。いかがでしょうか?
nekochan
2009年03月20日 20:54
豊ノ海は小錦・水戸泉らのいる高砂部屋であれば三役になれていたと思います。相性は本当に大切だと思います。
2009年03月21日 09:54
nekochanさん、コメント有難う御座います。

>小兵力士だった二子山親方では巨漢力士・豊ノ海の才能を活かすことができなかったのではないかと思います。=おおっ!こう言う見方は私は全然致しませんでした。巨漢力士にありがちな脇の甘さ、体躯を持て余して上手く使えない、下半身が脆い等一般的な見方しか致しませんでしたので、貴殿の意見はとても新鮮に感じました。有難う御座います!>五剣山なんかも該当していると思います。いかがでしょうか?=確かにそうですね!彼も期待した割には十両止まりでした。
2009年03月21日 09:56
>豊ノ海は小錦・水戸泉らのいる高砂部屋であれば三役になれていたと思います。相性は本当に大切だと思います。=また違った指導方法で、三役まで昇進出来たかもしれないですね!そう言う意味で親方を選ぶ事はは矢張り、重要な意味合いを持ちますね。
nekochan
2009年03月21日 23:40
nekochannです。以前…大相撲観戦した際に幕下の相撲で見たのですが、二子山部屋の巨漢力士は体を活かしていないといいますか…。それを見てもしかしたら豊ノ海が大成しなかったのは二子山親方との相性の悪さに原因があったのかなあ…と思いました。体格もそうですし・・・雰囲気も二子山部屋にあわなかったと思います。いかがでしょうか?ちなみに私の相撲ブログをしております。
http://nekochan.iza.ne.jp/blog
2009年03月26日 01:26
>体格もそうですし・・・雰囲気も二子山部屋にあわなかったと思います。いかがでしょうか?=確かに巨漢力士を育てるのが苦手だったのかもしれません。但し、巨漢力士を倒していたのだから(高見山等)、倒し方の逆を指導すれば?とも思いますが、此れは素人考えなのでしょうか?

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