油すましの独り言・・・。(大相撲編)

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zoom RSS (1973-5-01) ●ファニー・フェイス - ドナ・ファーゴ

<<   作成日時 : 2003/08/30 00:35   >>

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「The Billboard Hot 5」
・73/01/06-2
Funny Face - Donna Fargo
(ファニー・フェイス - ドナ・ファーゴ)

画像・彼女は、本名をイヴォンヌ・ヴォーンと言い、1945年11月10日にノース・カロライナ州マウント・エアリーで生まれた。子供の頃は特に音楽の勉強はしなかった。ハイ・ポイント・カレッジでは女子学生のための「Alpha Gamma Delta(教養を高める機関)」に入って卒業後、高校の英語の先生として働くためにロサンゼルスに移った。カリフルニアで彼女はスタン・シルヴァーと出会った。彼は彼女のマネージャーとなりカリフォルニアでの最初の音楽活動をプロデュースした。その時、彼女は未だ現役の高校教師であった。その後2人は結婚した。1960年代に入り、彼女は小さなレーベルの「 Ramco Records」や「Challenge Records」で録音したが、大きな名声は得られなかった。しかし、1969年に、「Academy of Country Music」の最優秀新人女性ヴォーカリスト賞を受賞した。一地方のアーティストにも拘らず彼女は此の名誉を得た。その後「Who's Been Sleeping On My Side Of The Bed」、「Daddy」を前述の小さなレーベルからリリースしたが余りヒットしなかった。1971年に、彼女は「The Happiest Girl In The Whole USA」と言う曲を書きリリースした。1972年に、「Dot Records」から此の曲が再リリースされるとカントリー・チャートで1位、全米チャートで11位、アダルト・コンテンポラリー・チャートで7位となる大ヒットとなり、彼女の名は世間に知れ渡った。1972年には100万枚を越える売り上げを記録し、グラミー賞の最優秀女性カントリー・ヴォーカル・パフォーマンス賞と「Country Music Association」の年間最優秀シングル賞を受賞した。「Academy of Country Music」でも、最優秀女性ヴォーカリスト賞、年間最優秀アルバム賞、年間最優秀ソング賞、年間最優秀シングル賞の4冠を得た。次のシングルである此の「ファニー・フェイス」もカントリー・チャートで1位、全米チャートで5位、アダルト・コンテンポラリー・チャートで5位となる大ヒットとなった。その後も 「You Were Always There(1973年カントリー1位、全米93位)」、「Superman(1973年カントリー1位、全米43位)」、「Little Girl Gone(1973年カントリー2位、全米57位)」、「「You Can't Be A Beacon (If Your Light Don't Shine)(1974年カントリー1位、全米41位)」、「It Do Feel Good(1975年カントリー7位、全米98位)」、「Don't Be Angry(1977年カントリー3位)」等のヒットを放ち、1970年代では最も成功した女性カントリー歌手の5人(ロレッタ・リン、ドリー・パートン、タミー・ウィネット、リン・アンダーソンと彼女)の内の一人に数え上げられた。また彼女は優れたソングライターの一人としても記憶され、タミー・ウィネット、ソニー・ジェームス、キティ・ウェルズ、タニヤ・タッカー、ジョディ・ミラー、マーティ・ロビンス、ドッティ・ウェスト等、多くのアーティストに作品を提供した。1976年には、ワーナー・ブラザーズ・レコードと契約し、「That Was Yesterday(1977年カントリー1位、最後の1位獲得曲)」、「Mocking Bird Hill(1977年カントリー9位)」、「Shame On Me(1977年カントリー8位)」、「Do I Love You(Yes In Every Way)(1978年カントリー2位)」、「Another Goodbye(1978年カントリー10位)」、「Somebody Special(1979年カントリー6位)」等のヒットを放った。彼女はまたテレビのレギュラー番組でも活躍し特に、1978年のオズモンド・ブラザーズが監修した「The Donna Fargo Show」が有名である。彼女は1979年まではカントリー・チャートの常連だったが1980年代に入るとその勢いに翳りが見え始めた。1979年に、彼女は多発性硬化症(自己免疫疾患に関係する病気で、運動機能障害や視力障害といった症状がある)と診断されたが、病気と戦う事を誓い活動は続けた。病気については殆どインタヴュー等でも触れなかったが長い年月をかけて徐々に回復して行った。彼女はその後も活動を続け1981年に、「Brotherly Love」と言うゴスペル・アルバムを「MCA Records」からリリースした。その後、「RCA Records」、「クリーヴランド・インターナショナル・レコード」と移籍し、1980年代後半には「マーキュリー・レコード」に移籍し数年間活動した。1986年に「Winners」と言うアルバムをリリース、翌1987年に「Me And You(1987年カントリー29位)」、「Members Only(1987年カントリー23位、ビリー・ジョー・ロイヤルとのデュエット)」と言う2枚のシングルを久し振りにチャートに送り込んだ。1991年に、湾岸戦争に言及する「Soldier Boy」をリリースした。此のレコードが今現在、彼女がビルボードのチャートに送り込んだ最も新しい曲である。1990年代初頭から彼女は、音楽活動は時折しかしなくはなったが、カントリー・チャートには1972年から1991年までに合計37曲ものヒット曲を送り込み、その中の6曲はNo.1になる等彼女の活躍は、今現在でも燦然と輝いているのである。
自作自演の此の作品は、アルバム「The Happiest Girl in the Whole U.S.A.」からのシングルで、落ち着いたカントリー風のほのぼのとしたバラードであり、イントロの入り方からメイン・パートの展開の仕方、そしてアレンジまで50年代の曲かな?と思うほどで、素敵なポップ・チューンに仕上がっていた。





●1970年代 - アーティスト別インデックス・A〜F
http://37021207.at.webry.info/200301/article_2.html

●1973年 (昭和48年) トップ5・リスト
http://37021207.at.webry.info/200307/article_3.html

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